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4月20日再開しました

 投稿者:藤井工房  投稿日:2012年 4月23日(月)15時55分23秒
返信・引用
  約6ヶ月の間休館していましたが、何とか4月20日から再開することができました。
ご迷惑をおかけしましたがこれからもよろしくお願いいたします。

再開を告知した新聞折込の記事を載せてもらったのでよかったら見てください
http://gojinka100.blog27.fc2.com/blog-entry-321.html

更新が出来ないでいた「当館のHP 古い記事のまま」をリニューアルしたいと思っています、もっと読んでもらい易いように整理したいと思っていますので、また見に来てください
 
 

しばらく休館とさせていただきます

 投稿者:藤井工房  投稿日:2011年11月16日(水)20時46分32秒
返信・引用
  平成11年8月から開業した当資料館(工房併設)は都合により来春3月末まで臨時休館とさせていただきます。あんこ人形の体験の問い合わせなど頂いてきましたが急な事情にて3月末までの受いけ入れは出来なくなってしまっておりますのでご容赦ください。
商会などありましたら 090-4026-0645 までお願いいたします

4月から再開いたしますのでご利用ください、HPも更新できなくなっておりますので告知・島内新聞折込データーはこちらでご覧ください
  http://gojinka100.blog27.fc2.com/blog-entry-244.html
 

重治商人と円空上人

 投稿者:関口義則メール  投稿日:2011年 3月 2日(水)07時48分45秒
返信・引用
  重治商人と円空上人

自分は仏像を彫っているのではない。
仏様はもともと木の中にいらっしゃる。
自分は、それを隠している周りの余計なものを削ぎ落として、
中にいる仏様に出て来ていただいているだけである。

円空上人はご自身の木彫についてこのように語られたことがあるそうだ。
私達があらゆる物・事と対峙する時に、是非とも備忘録に入れておきたい、
真理の羅針盤となる言霊ではないだろうか。

45年振りに、藤井重治さんのあんこ人形を目の当たりにし、
手に取って握ってみた時、
何故か身体が震え、円空上人の言霊を思い出した。
いや、何故か・・・ではない。理由は明白だ。
重治師のあんこ人形は、観光客向けのみやげ商品でありながら、
円空木彫と同じく精神性の非常に高い作品と感じたからだ。

木の中に、神々しいあんこさんがいるから、出て来ていただいた。
木の中に、仏様、観音様、菩薩様がいるから、姿を現していただく。
両師の精神は同一の原動力に突き動かされていたように思える。
森羅万象に存在する八百万神に同調する能力を、
自らの鍛錬により開拓した求道者だけが持ち得る精神性かも知れない。

みやげ用商品としてあんこ人形を彫る職人さんだった藤井重治氏が、
私の中で藤井重治師に変わり、そして重治商人が重治上人へと変わった。
私は、重治上人と円空上人の木彫精神は、
大きく重複しているものと考えている。
どちらも鉈彫り的一刀彫りを身上とし、
どちらも、生涯で12万体の木彫をした歴史的事実も、
単なる偶然とも片づけられない。
崇高なる精神の摩訶不思議な連綿を感じさせるものだ。

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藤井工房御中
藤井虎雄 様

ご返事ありがとうございます。
家の上の少年時代に、一緒に遊んでいただいて、ありがとうございました。
中江トモちゃんの家の、すぐ真下が我が家でした。
確かに、大きなコンクリの水道タンクの上や周りや、
茅場や、原っぱ・元小グランドなどが遊び場でした。
虎雄先輩の家は、三原登山口の入り口で、
大島椿の真向かいだったと母に聞きました。
子供の頃、大島椿の片隅に牛乳煎餅を焼く工場があり、
窓にへばりついて、外からよく眺めていました。
振り返ると商店のようなお宅がありました。
あそこが先輩の家だったのですね。
先ほど島の母と電話で話し、
今では稀少となっている薪をささいで歩く姿のあんこ人形と、
木村五郎氏関連の本を無事購入できた旨、
また、大島を描いた画集を頂戴した旨、聞きました。
お心遣いありがとうございました。
追伸:重治師の作業写真ありがとうございました。
誠に勝手ながら、一番よく使うノートPCの、
デスクトップ背景にさせていただきました。
 

ありがとうございます

 投稿者:藤井工房  投稿日:2011年 2月28日(月)15時08分12秒
返信・引用
  関口様へ 書き込みありがとうございます、しょっちゅう掲示板を見てないので返信が遅くなり申し訳ありません。父の思いを受け継げれば・・そう思って48才で退職してもう12年経ちます 私が続けていなければ関口さんに買い求めていただくことは出来なかったわけで、少しだけお役に立てたと思いやっていて良かったと喜んでいます。

たしか私がそうだと思う関口さんのお住まいは小学校の直ぐ上でお姉さんが幸子さんでお父上が長く保健所におられた方ではないかと思います。どうして知っているかというと私の同級生だった中江君が近く(コンクリの水道タンクのそば)に住んでいたので何度か遊びに行って関口宅にも伺ったことがあったように覚えています。小柄なお母様似の少年だったと記憶しています。よく茅場だった「怪傑ハリマオの撮影地」で遊んだ覚えもあります。
いずれにしても地元の人がこれほど「あんこ人形」に興味を持って貰えるとは思っていませんでした、ありがとうございます、同じ大きさで蒔を頭に乗せた人形」は在庫がもう10体くらいになってしまいましたがお求めいただけますのでご利用下さい。買っていただいた人形はもう随分と手入れしていただけたようで光沢が出てきていますね。
すでに見ていただけたかも知れませんが
 HPのなかにこれまでの回想を時系列で整理した
      http://www.island-net.or.jp/~ankosan/sub200-1.html

 今も時々記事を書き入れているブログ(自分としては大事にしている内容です、2月にあんこ人形の歴史を整理して載せました) http://ankosan.blog53.fc2.com/

それと雑多なことを気軽に書いているブログ(島の恵みや野草の話など)
http://plaza.rakuten.co.jp/ankosan26/
を公開しております、関心を持っていただければ幸いです(写真は港の店舗で人形を彫っていた頃の父の姿です)



 

あんこ人形の思い出

 投稿者:関口義則メール  投稿日:2011年 2月22日(火)23時41分11秒
返信・引用
  藤井工房御中
藤井とらお 様

元町小学校に、実地研修に来た若い教師がいた。
先生が東京へ帰る日、僕は何人かの同級生と見送りに行った。

そして、その日、先生が買った「大島のみやげもの」のことを、
今も、僕は鮮やかに覚えている。

先生は、乗船開始を待つ間、元町港のみやげもの屋を何軒か回った。
何も買わずに店を出ては「大島らしいものはないかなぁ」と嘆いた。
先生は、とあるみやげもの屋で、足を止めた。
「上総屋旅館」より少し先の、
今の「みよし」あたりだろうか、繁華街のはずれのほうの店だった。
小さな作業場で、若いおじさんが、
黙々とあんこ人形を彫っていた。

先生は、そのおじさんと何やら話しこんでいた。
やがて、たくさん並んだ人形の中から先生は、
顔も、着物も、前掛けも書いていない、
無着色の、白木のあんこ人形を、5体選んだ。
手のひらに乗っかるほどの小さなこけし人形だった。

先生は財布から一万円札を2枚出した。
えっ?と、僕はびっくり仰天した。
色も絵も柄もない、無垢の白木の人形が、一体4,000円。
小学生の僕から見たら、
無垢の木肌だけの、味気ない小さなあんこさんが、
ひとつ4,000円。

あまりの高価さと、先生の感動のあり様に、
強いカルチャーショックを受けた。

いいなぁ、実に素朴な芸術だ、と先生は言った
いいみやげが見つかった、と喜んでいた。
4,000円なら安いと先生は言った。

1日10円、20円の小遣いで暮らしていた、
島の小学生から見たら、ケタはずれの「大人」の買い物だった。

あの日から、約45~46年。
高校進学のため、島を出て40年。
平成23年2月のある日、ネットサーフィンの途中で、
あの日、人形を彫っていたおじさんが、
藤井重治さんという方で、残念ながらだいぶ前に亡くなられていたが、
息子さんが二代目を継ぎ、工房を経営されていることを知った。

「おおきくなったら、買いにこよう」と、
あの日、ノミを篩うおじさんと、
粗くして端正な、あんこ人形を見ながら考えていた僕は、
45年後の今年、その夢を突然思い出し、叶えた。

島の母に電話し、藤井工房という所へ行って、
重治さんの、あんこ人形が、まだ残っているかどうか、
見てきて欲しい、あったら買って送って欲しいと頼んだのだった。

数日後、僕の仕事場の机の上に、
「藤井重治」の刻印がある、水汲みあんこ、が飾られた。
手にとって眺めたり、おでこの皮脂を擦り込んだり、
手拭いで乾拭きしたりすると、みるみる、いい色合いに落ち着き、
デスクの上で光輝いてきた。
見るほどに味わい深く、
触るほどに手に馴染み、色味もだんだん深く濃く。

島の椿の木の中には、あんこの神様が居て、
重治師が、ノミで余計なものを削り落して、
あんこの神様に、この世に出てきていただいたとしか思えない程、
美しく豊かな、完全なる彫刻、真正なる芸術が、今僕の目の前にある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

藤井とらお様

二代目を継ぐ決心をされた男気に感動を致しました。
私が重治師の水汲みあんこをデスクに飾ることができましたのも、
今、藤井工房があるお陰と感謝しております。
東京から応援しておりますので、
がんばってくださいね。
 

遂に対面叶う

 投稿者:藤井工房  投稿日:2010年11月26日(金)15時44分31秒
返信・引用
  私は「大島を描いた画家」の資料を探しています、ブログやこのHPを見られた東京の長谷川様から9月1日に「清水柳太の絵巻を持っている、一度ご覧に入れたい」というメッセージをいただきました。それから何度かやりとりをしてゆくうちに「観光がてら絵巻を持って行き資料館に寄贈をしたい」そう言われ、ようやく昨日にご夫妻でわざわざご来島いただきました。ご縁がなければ叶わなかった対面でした、有り難うございました。  

吉報です

 投稿者:藤井工房  投稿日:2010年 9月13日(月)14時27分2秒
返信・引用
  長谷川様から画像を送っていただきました。本文は二つとも同じですが、何枚か描くうちに技法が定まってきたのだろうと思います、比べてみると島娘や子供の表情や輪郭に変化が見えます。「大島の資料館に寄贈しても良い」という10年に一度あるか無いかの吉報です。秋になったら遊覧がてら大島にお見えいただけることになりました、7メートルの絵巻物を見比べるのも楽しみです、お待ちしております。  

ぜひ見せて下さい

 投稿者:藤井工房  投稿日:2010年 9月 5日(日)11時38分28秒
返信・引用
  長谷川様 書き込みありがとうございます
縁あってこれまでに清水柳太の大島絵巻を3巻見ています。
長谷川様がお持ちの「アンコと御神火の三原山」(画像2枚目)同じタイトルで「三原山登山のスケッチ」(画像1枚目)、「大島風俗」昭和12年(椿油を搾る工程スケッチー未載)です。3巻ともコピーしてあります。
書き出しは島の名物椿と乳牛に豚・・それから島娘のスケッチと続きます。障子紙に描いたわけで一点ものだと思いますが、もし原画を見せていただければたとえ同じ題材であっても比べてみるのも面白いと思います。
これだけの力量の画家なのに経歴や生没年の確認が未だに出来ておりません、何かご存じで居たらお教え下さい。ご連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。
 

清水柳太の作品

 投稿者:長谷川忠康メール  投稿日:2010年 9月 1日(水)11時15分49秒
返信・引用
  母からの遺品を整理していて、清水柳太さんが書いたと思われる巻物が出てきました。冒頭には、「アンコと御神火の三原山 秋のつれづれに戯画を障子張替えの用紙に」と書いてあります。島の生活がいろいろと楽しげに書かれています。一度見ていただきたいと思いました。  

画家吉田豊について

 投稿者:藤井工房  投稿日:2009年 9月 2日(水)14時59分6秒
返信・引用
  ご照会の画家については残念ながら個人のデーターは何も持っておりません。
美術雑誌「みずゑ」大正3年109号から116号に「大島の旅」という紀行記が掲載されています、画家赤城泰舒(やすのぶ)が文を書いており、その中に「カットのような形」で吉田豊氏の大島作品が数枚使われています。なお、吉田豊はYというイニシャルで文中に登場しています、二人で一ヶ月近く大島で過しています。多分二人は「どくだみ会」という画友の会に属したものと思われます。
「大島の旅」と吉田作品の図録希望(こぴー不鮮明)があればお送りします。
 

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